知恵 霊操的日常生活の助けとして

2019年7月1日

知恵 霊操的日常生活の助けとして
001 神への対話:あなたは一日に何回

・神の名を呼び求めていますか?・意識の究明を捧げていますか?

・「感謝」を三位一体の御交に言っていますか?

・神の愛を体感していますか?

・疑問を尋ねていますか?

・不満や非難,暴言までも,何でも話していますか?

・罪を告白していますか?

・ゆるしを願っていますか?

002 神による慰めだとわかる3つの状態

心が静かな状態になって

①理由がないのに喜びが増す

②涙-喜びや悲しみで流す涙は恵み

③信望愛が深まる.

自覚的慰め:イメージが来るような感じ.

霊的慰め:静けさ,深さ,やすらぎ,平安

003 相互現存と神を見出すの意味 神が私の内にいて,私が神の内にいる.「全ての中に神を見出す」をより良く体感するための別訳として,全てを超えて神を見出し,神の中に全てを見出す
004 選び:祈りや行いのこと

一般的な選ぶ=AかBかどちらか2択.

しかしこのコミュニティでは,2択を選びとはしませんし,2択になっていたら,それは選びをさせないための働きを受けているかも知れません.

選び:神がよしとすると感じるより良い2つの選択肢から,更により良い方を選ぶという祈りや行い.常により良い方を,み旨としていただける喜びを感じます.

005 イグナチオ・デ・ロヨラの霊性:

一例として,暗闇がない.霊的暗夜がありません.

①暗闇がない:十字架の聖ヨハネ,コルコタの聖テレサ達は,暗闇の神秘も味わいました.

聖イグナチオ・デ・ロヨラの自叙伝には,このような記述はありません.

「上達して,いつでも神と対話できるようになった」と口伝しています.

006 霊操の3体験

①愛されている体験

②ゆるされている体験

③召かれている体験

007

罪の3レベル =

軽①<②<重③

軽①<②<重③

①行為としての罪:悪いことをした,嘘をついた,盗んだ.

②生活態度としての罪:神に向かわず神がいないかのように生きる.

③自己否定:自分に価値がない,神に愛されていないと否定する.自分の存在価値を否定する.

自分の根源的良さを否定する「根源的罪」(根源的自己否定)で,最も重い罪.

①,②に究明が偏る傾向のある方は,③をSentirさせない働きがあるかもしれません.③のあとには,神に愛されている実感へ通じるからです.

008 観想の

3プロセス

①     思い出す

②     味わう そこにとどまる

③     ③神が何を啓示したいか悟らせたいかを感じる

祈りの妨げになるもの

・睡魔

・雑念

・誘惑

祈りが上手くいかないときのチェック・リスト

1.準備として集中するための時間をとったか.

神を自分の中に見出すために十分な時間をとったか.

2.謙遜な尊敬に満ちた心で神の御前に自分を置いたか.

3.めざしている恵みを心から願う望みをもって祈りに入ったか.

4.体の姿勢と祈りの場所は適当だったか.

5.心が満たされるまで味わいのあるところに十分とどまったか.

6.荒みや慰めを得たというところに戻って「反復」したか.

7.焦点は神だったのか,私だったのか.

8.自分の計画と材料の内容把握に焦点が置かれていたか,それとも神に聴くことに集中したか.

9.本当に聴く心があったか.御言葉を私自身に向けられた言葉として受け止めたか.

10.乾ききった心,落ち着かない心の状態を捧げて,それを祈りにすることができたか.

11.祈りの締めくくりについて:キリストとの対話などで締めくくろうとしたか.

それに対する対策

1.決められていることを見直して,それを忠実に守る.特に,以前に決めたことを絶対変更してはならない.例えば,決めた祈りの時間はどんなことがあっても守ること(霊操12).

2.かえって,始めの決心よりも一層精進し,入念に究明する.特に決めた祈りの時間よりも少し余分にすること(霊操13).

3.望んでいるものを見いだすために,何らかの苦行をして,熱意を神に示す.(霊操89).ただし,極端なことはしないこと.ヘルパーと相談の上で決めると良い.

4.時には神にチャレンジする.「こんなに願っているのに,何故与えてくれないのか.もし私の態度で間違っているところがあれば,教えてください.そうでなければ,願っている恵みをください」と祈る.

5.心にどうしても引っかかっている問題や気がかりな事があるときには,素直にヘルパーに相談すること.悩みの解決のためではなく,祈りを深めるために.

6.どんな苦しいときでも,神は決して見捨てないことを信じ,やがて慰めが与えられることに,大いなる希望をもつこと(霊操320-321)

7.祈りがうまくいっているとき,つまり慰めのときに,今度祈れなくなったときにどうするかを考えて,新たな力を蓄えておく.そして,苦しいときの自分はいかに無力であるかを思い出して,謙遜に主により頼んでおく(霊操323-324)

   
   

009

神による

3つの慰め

①     理由なしの喜び

②     涙 喜びや悲しみで流す涙

③     信望愛が深まる

「信望愛が深まる」が慰めの本質:霊操で届きたい心の状態

010 3つのしんか

進化

深化

神化

011

3つのかいしん

改心,回心,開心心をあらためる3つの体験

①     改心 行いをなおす

②     回心 人生を神に向ける,生活態度を変えて神に回す

③     開心 神の愛に心を開き,他人にも心を開く.

開心によって,神に愛され,根源的な自己否定を癒される

かいしんは自分の力ではできない.何度も祈って神に愛された事実を黙想し,感じて味わう.

3つのしんこう

信仰

心交

神交

教会歴史3要点

神化

人化

愛化

キリストの三つの「しなさい」

①     信じなさい

②     互いに愛し合いなさい

③     これを私の記念として行いなさい

EHYE

3つの意味

私はある Exd3.14 3つの意味

①     ある

②     ともにいる

③     あなたを存在させる

霊魂の3能力

①記憶 memoria

②知性 entendimiento

③意識 voluntad

009 慰め2つ

①自覚的慰め イメージが来るような感じ

②霊的慰め 静けさ,深さ,やすらぎ,平安,霊主キリスト人の動きがある.

嫌な体験を思い出す3つの理由:

私が

①     神に委ねていないか

②     神に癒やされていないか

③ その両方か

010 霊操2番

ものを悟り,それを内的に味わうこと

El sentir y gustar de as cosas internaamente

霊操の「気づき」を説明している

011 センティルする:Sentirする

聖イグナチオが霊操で表記していることば感じとる,霊的五官で感じとる,内的知識を感じる という”感じる”という動詞

日本語の感じる,英語のfeel でもないため,用語で「センティルする」と表現したい

感じるというだけの場合もありまして,その後にセンティルしていくこともあります.

012 グスタする:Gustarする

聖イグナチオが霊操で表記していることばSentirを内的に味わうという語感の”味わう”という動詞

日本語の味わうではないため,用語で「グスタする」と表現したい

014 教会の本質

東京教区ニュース353号2018/6月号2頁5段目教会の本質は3つの務めによって表される.・神の言葉を告げ知らせる(宣教・ケーリュグマ)と,あかし(マルテュリア)

・秘跡を祝う(典礼・レィトゥールギア)

・愛の奉仕を行う(奉仕・ディアコニア)

これら三つの努めは,それぞれが互いの前提になり,また互いに切り離せない.

015 祈りとは

①祈りは神交:

神と私の心が交わる.どんな形でも交われば祈り,交わる実感もいただける心の交わり.祈りが深まると,言葉がなくなる

②祈りは静かなポイント:

私の静かなポイントに触れるなら祈り.祈りは言葉ではない.

016 祈ったのか,考えたのかの判断法

・祈りは考えではなく,気持ち「私は思う・・・」:

主語+動詞で話す時=判断や考えで,祈った結果ではない.

祈りのあとに,「思う」という言葉が出てきていると,祈りと考えが混乱している状態.

★神と対話していたら,「祈りながら……だと思った」のフレーズは出ない.

暖かくなる,穏やかになる,平和を感じる,体の深いところで,何かが溶ける用な感じ…等の表現になる.

静けさ 神は,全てを静かにする静かなるもの私が静けさを感じたら,それは神が静けさをくださった※このような定義を,神からいくついただいていますか?それを書き出してください.例:全てを優しくする優しきもの
聖霊の息吹が働いた時 落ち着き,気持ちが楽になり,全てが容易になる.
霊的覚醒の12の症状

1. 自分で物事を実現させようとするよりも,物事が自然となされるのにまかせるようになっていく

.2. 笑顔になることが増える.

3. 他者や自然とつながっているような感覚がある.

4. 感謝に深く満たされることが増える.

5. 過去の経験に基づく恐れからではなく,自発的に考えたり行動したりするようになってくる.

6. 一瞬一瞬を楽しむことが,明らかにできるようになってくる.

7. 心配しなくなる.

8. 論争や対立に関心がなくなる.

9. 他者の行動を解釈することに興味がなくなる.

10.他者をさばくことに興味がなくなる.

11. 自分をさばくことに興味がなくなる.

12.  見返りを期待せずに愛せるようになっていく.

出典:ミルトスの木かげで サイトより

イエス像 ご受難のイエス像が好きな方,ご復活のイエス像が好きな方,その両方.いずれもピンとこない方.あなたはどんな感じですか.
神への最高の言葉

あなたが全てを込めて神に気持ちを伝える時,どんな言葉で表現しますか?

感謝>ありがとう ですか?

人生は死んでからが本番

・ヘレン・ケラー女史「死ぬことは ひとつの部屋から次の部屋に入っていくのと同じなのよ.でも 大きな違いがあるの.だって次の部屋では目が見え音が聞こえるんですもの...」

・イシドロ・リバス神父SJ「死って,劇場の幕があがるようなもの.観客だったあなたが今度は舞台にいます.」

ライフオリエンテーション 「Peak Experience」が要点嬉しかったこと,成功したとき,ありがとうと言われたとき,自分が役にたったとき 褒められたとき 愛されたとき等.
キリスト者とは キリスト者とは,キリストの霊を受けて霊に従って生きる人,肉から来る感情・思いよりも,霊からくる感情・思い・希望に活かされる人

原理と基礎

(霊操23番)

=Compassionate=あなた方の父が憐れみ深いように,あなた方も憐れみ深い者となりなさい
230番別訳: 愛を得るための観想→愛になるための観想,愛であるための観想
神を見出すの意味 「全ての中に神を見出す」をより良く体感するための別訳全てを超えて神を見出し,神の中に全てを見出す
霊素2番

ものを悟り,それを内的に味わうこと

El sentir y gustar de as cosas internaamente

霊操の「気づき」を説明している

agere contra

アジェレ・コントラ

創造主がご自分の被造物により確実に働けるため、もしその霊魂が適度を欠いて何かに愛着し傾いているならば、全力を尽くして悪い愛着と逆の方向へ心を向けるのは、非常に有益である。SE16
agere contraの実生活でのやり方 「正直な私」の囚われや思い込みが邪魔をして,「真実の私」に生きる障壁や困難になっている.障壁・困難を取り出し,agere contraにより,「真実の私」の思いを意識化する.自分の自然的な傾きが神の望みと異なるなら,正反対を考えて,捉われた傾きから自由になり,魂を神に向けて整えていく.
hic et nunc Here and Now   今,ここで

霊操深化を

判断する

内的な神化を判断する心の状態の,ほんの一例

①ケブラント(Quebrant ご受難で打ち砕かれるイエス)の自覚
②心交:神と私の心が交わる五官の自覚
私は思う・・・」:主語+動詞で話す時=判断や考えで,心交ではなく,「感じる」感情用語=気持ちの時,は五官で自覚していて心交している.
その結果,神の愛を五官で感じ,身体が熱く感じたり身体が打ち震える体験
③神は,全てを静かにする静かなるもの       私が静けさを感じたら,それは神が静けさをくださった
④天国:私の居場所,人生の本当の本番 人生は死んでからが本番
⑤イエスの陰府への歩みと全ての被造物を天国へ抱き上げたことに参加する体験
⑥罪に身体が震える体験
⑦賛美と感謝で身体が震える体験
⑧自分自身が「愛」であると感じる体験
⑨静けさすら静になる体験
⑩十字架上のイエスに抱きつく体験
⑪ご復活の歩みに同伴する体験
⑫寂しい夜(聖木曜日,誰からも背を向けられた夜の通称)の心をイエスからみせていただいた体験
⑬御交の三位一体や聖マリアを感じる体験
⑭ご受難のイエスを見つめる聖マリアのみ心を感じる体験
⑮聖マリア→主イエス・キリスト→御父へと私の願いが導かれる体験
⑯期待以上の恵みに感謝する体験
⑰万感の思いを込めた賛美を「感謝」という言葉でしか表せない体験
⑱御聖霊が身体に満ちてくる体験
⑲スシペ(霊操234番)が生き方の前提になる体験
⑳毎朝,毎晩の祈りが定式化し,自分らしい祈りの文言になり,一般究明か特別究明も容易くできる.
㉑イエスに強く惹きつけられたり,捕らわれたりする体験
みこころ いとも甘美な努め Munus Suavissimus教皇からイエズス会に与えられたイエスの聖心を世界中に広める務め
 Quebrant ケブラント:弟子たちは逃げて,イエスは鞭打たれ,砕かれること
シェオル 新約聖書では「ハデス」であり,ヘブル語では「シェオル」であり日本語で「陰府」と訳されているものです.これは死者が行く所であり,地中の深い所と考えられています.コラたちが「生きたままよみに下る(民数記16:30)」とモーセが宣言しましたが,彼らが落ちたのは地の中でした
ルアーハ 聖霊  創世記1章冒頭にも記述あり
ー:天 ー:地 それをつなぐ 十:十字架
王: 天 のー,地の一, それをつなぐ 十字架で,王主:王の上に点.王の中の王は主イエス,しかもご受難で斜めになっている
期待以上 神のなさること はるかに越えて期待以上
考えか,心の気持ちかの判断法

・祈りは考えではない「私は思う・・・」:主語+動詞で話す時=判断や考え「感じる」感情用語=気持ち

考えず,感じて,それを味わうのが祈り

★神と対話していたら,「祈りながら……だと思った」のフレーズは出ない.

暖かくなる,穏やかになる,平和を感じる,体の深いところで,何かが溶ける用な感じ…等の表現になる.

自分の威厳と尊厳 臍のはるか彼方の静かな処に感じるもの
寂しい夜

聖木曜日,誰からも背を向けられた夜の通称「さびしい夜」をこえて私たちは普段,イエスとの3つの体験を日々重ねています.それは,愛されている体験,ゆるされている体験,招かれている体験です.四旬の間は特に,この3つの体験を深く感じられた方も多いと思います.そして聖木曜日を迎えます.逮捕されたまま孤独に過ごした聖木曜日は,『さびしい夜』という言葉で呼ばれています.長い夜です.皆去ってしまい,どれほどの孤独感を感じられたかを,私は祈りで,少しだけ感じています.感じたその孤独感は普段も心から消えません.孤独感をいただいて,本当に心から感謝しています.

さて,バルタザール神父は「過越の神秘」という著書の中で,イエスの3つの歩みを分かちあってくださいます.

それは,十字架への歩み(聖金曜日),死者への歩み(聖土曜日),御父への歩み(復活の主日)です.

イエスがどんな気持ちでこの歩みをされたのかは,想像するしかありません.そこで,この想像を日々培う手立てがあります.ミサでご聖体をいただく私たちは,「ご聖体にまでなって,私達の中に入っていこうと望まれるイエスの心を毎回味わう」ことができます.私の味わいでは,イエス一人で私の中を歩まれ,私の体は,「さびしい夜」をこえて,私の中を歩まれる主イエスの喜びを毎回感じます.

神よ,あなたは私を慕う イエスが私を慕い究める聖歌
「谷川の水を求めて,喘ぎ彷徨う鹿の様に・・・」
旧約:私が神を探す  神よ,私はあなたを慕う
新約:神が私を探す  神よ,あなたは私を慕う
活動における観想的態度 Simulin actione contemplativusContemplatives in Action 活動における観想
霊操48 番 「切に望んでいるものを主なる神に願う」(ido quod volo)
天国 人生の本当の本番 人生は死んでからが本番
地上 愛しあうための訓練の場 人生のほんとうの本番は天国
聖霊の息吹が働いた時 落ち着き,気持ちが楽になる すべてが容易になる
祈り 黙想的祈り と 観想的祈り
ライフオリエンテーション 「Peak Experience」が要点嬉しかったこと,成功したとき,ありがとうと言われたとき,自分が役にたったとき 褒められたとき 愛されたとき等.
臍へその彼方 意識のレベル(自我・煩悩)の奥に臍.その彼方に,落ち着く自分がいる
自分の威厳と尊厳 臍のはるか彼方の静かな処に感じるもの
神の国は近づいた

神の国は近づいた.悔い改めて,福音を信じなさい. 別訳神の国は近づいた.⇒ほら,神の国は今もうここにある.悔い改めて⇒=考え方を全く変えてもう神の国はココにあると知って

福音を信じなさい⇒福音を信じましょう.

マザー・テレサ 「沈黙の実は祈り,祈りの実は信仰,信仰の実は愛,愛の実は奉仕,奉仕の実は平和」
ガンジー墓碑銘:

7つの社会的罪:

①理念なき政治,

②労働なき富,

③良心なき快楽,

④人格なき知識,

⑤道徳心なき商業,

⑥人間なき科学,

⑦献身なき崇拝

(ガンジー墓碑銘)

主イエスは,私の中の,「ヘソの遥か彼方」に住んでおられる.

DNAのゲノム生物の設計図はわずか4種類の塩基(A・T・C・G)で書かれています.人のDNAのゲノム(すべての遺伝子情報)は,

重さは1グラムの2000億分の1,

その幅は1ミリメートルの50万分の1で,

このゲノムに,32億ものA・T・C・Gが書き込まれていて,

そのゲノムが,誰でも60兆あるそうです.

(出典:「人は何のために「祈る」のか」142頁 村上和雄共著/祥伝社黄金文庫)

では,一つのAは,60兆分の1の1ゲノム内で,さらに32億分の1個を単純に1/4すると,

1÷(60兆✕32億✕4)=1÷768,000,000,000,000,000,000,000

主イエスは,私の中で,私のヘソのはるか彼方に住んでいます.

「はるか彼方?」ってどこですか?

もし,この1つのAに主イエスが住まわれていたら,本当にはるか彼方にいらっしゃいます.

また,一つのAが,60兆個を全て支配しておられたら,私の心臓の音は,主イエスの音だと納得しました.

そして,このAはどんな場所にあるかというと,沈黙で音のない場所だと感じました.

つまり,

神は,「静かなるもの,全てを静かにする静かなるもの」という実感です.

神は私の体の中の,音のない場所におられるという実感です.

では主は,私の中で,何を聞いているのかというと,私の思いや感情の声です.私だけの,しかも音だけを聞いてくださっています.

他の人の音は聞いていません.

イエスを独占!

私は聴診器のおもちゃを持っていて,良く自分の心臓の音を聞きます.

左を下にして寝ると,心臓の音が聞こえることもありますね.

自分の心臓の音を聞きながら,主イエスの心臓の音を聞いてみてはどうでしょうか?

何処にいても,騒然とした環境でも,とても静かな祈りができます.

悪魔

悪魔Devilは,十字架がわからない 謙遜がわからず,近づけない教会は御傷の中から生まれた.御傷という謙遜の中から生まれた.

謙遜の中にいれば,愛だけの中にいて,悪魔の影響を全く受けない

究明により謙遜の中に住めるよう願いましょう.

触れた体験

体感の分け方

神が触れた,入ってきた:穏やかで温かいという,体感悪魔が触れた,入ってきた:騒がしく,ざわつく,体感識別したつもりで,喜びをいっとき感じても,後味がざわついて,深く満たされない感じなら,それは恵みではないかもしれないので,自分の体験で判断ができるようになり,再度選ぶことができるし,何度も神に尋ねてみて,教えてもらえる.
三位一体の祈り方

三位一体の祈り方:7通りあって,それぞれ違う1~7は夫々の位格と私が向き合うイメージ例:御父=御父と向き合う

1.御父

2.御子

3.御聖霊

4.御父と御子 又はその御交

5.御父と御聖霊 又はその御交

6.御子と御聖霊 又はその御交

7.御父と御子と御聖霊 又はその御交

更に丁寧に言うと,11通りになります.

分かち合い

・前回の例会の日から,今日までで,神が私に下さった恵みの事実を話す.・聖イグナチオ・デ・ロヨラは,総告解を紙に書いてから告解した.言葉や感情が曖昧で,時々で変わってしまうことを彼は知っている.だから,私達も,例会の分かち合いは,紙に書いた文章を読み上げる位の神への敬意を表明してよい.・その時の自分自身の心や気持ちがどんな感じになったかを話す.

・意識の究明,識別を話す.

・霊操23番,開心を話す.

・二つの旗(霊操136番)を話す.

・謙遜の三段階(霊操165番)を話す.

・スシペ(霊操234番)を話す.

・自分自身や出来事の説明は話さない.気持ちを話す.

・生活の分かち合いという名で,会社の出来事を話す人もいるが,そういう人に限って,神様という言葉が全くなかったり,神様も自分自身も主語にならず,逢ったこともない人のことばかり聞かせて,周りを苦しめている.

・神が主語で,出来事自体を説明できるのか? できないなら,話さない.

・いつ,どこで,誰が,何を,どうして,どのくらい等を入れれば,後は感情的な感覚を話しても,相手に伝わる.

・動詞を大事にする.

例えば,歩く:イエスが歩き,あなたも歩く.イエスに何をいただくか.

呼吸する:どんな呼吸の仕方だっただろうか.その呼吸によって,イエスは何を整え,相手の人間に何を与えていたのだろうか,等を祈りながらイメージできる.

・例えば,夫婦の諍い後,祈っていたら,どうしても謝りたくなったが,相方も同じ気持ちになったと話す時,これは,人と人の話で,神が夫婦に与えた恵みはどんな感じだったかがわからない.夫婦が共通に受け取った恵みが何かもわからない.神が主人公になっていない.

・「ええカッこしい」はとてもよくあるパターン.とても悲しい現状.自分が解決できたことばかりを,できたのは神の恵みだと分かち合う.良いことだけを分かち合う.一方で,解決できずに心の奥底に悲しみの塊があることを,神にも親にも友人にも話さず,孤独感が増してしまう.多くの場合,神を恨み,神のせいにしている.

神の死 イエスはあなたに言います.「私はあなたのために死んだことがある.今の苦境が私のせいなら,どうぞ私を殺して下さい.殴って下さい.背をむけて何も話さず無視されるくらいなら,殺されたほうが私は嬉しい.だって,あなたが私とかかわりを深めてくださるから...」
あなたの誕生 霊魂と肉体があなたの誕生によって生まれて,あなたの帰天によって,霊魂だけが永遠に行き続ける.と言われています.霊魂が原初からあって,たまたま今肉体と一致しているという考え方ではなさそうです.
ニコラス元総長演説「イグナチオ的霊性の力」

https://www.youtube.com/watch?v=mpWUyrMgVZc2010年9月26日 ベルギーにてイグナチオの霊性がもつ力について,私は何年も考えてきましたが,

イグナチオの霊性によって,私達は,自分の内で起こっている出来事を意識するようになります.

自分のうちにある,全ての真理を意識するようになります.

そして,自分の内に真理をもつならば,神父や教師に頼ってばかりいる必要もなくなるのです.

そうです.なぜなら,家族や子ども,また,仕事などについて大事な決定をくだす時,神父にいちいち相談に出かけることは,できないからです.

自分の内で決定しなければなりません.

イグナチオの霊性は,私たちが何処に,自分の内で,どんな力,心の動き,感覚,気持ちなどが起こっているのかを教えてくれます.

自分の内に何が起こっているのかを.

霊はいつも働いているのです.

皆さんが音楽家ならその働きが聞こえるのです.

印象的だったのは,G.グティエレスのような性格のドミニコ会のある神父が,彼が言うには,「疑わず」というのは,イグナチオの霊性とは程遠い,ということです.

ですから,このことは素晴らしいです.

しかし,内的なプロセスが必要です.音楽家になるようにです.

意味を掴み,生き生きと移り変わっていく必要があります.

イグナチオの教えた識別の導きに從って学びます.

大事な決定を下す時,どのように識別するか.

私の内で何が起こっているのか.何が聞こえなければならないのか.

そして,自分のうちに真理をもつなら,神父や教師に頼ってばかりいる必要もなくなるのです.

他者の不幸と他者の責任

他者の不幸と他者の責任    ホアン・アイダル 上智新聞編集局 [視点] 神学部第3回聖書には非常に大切な教えがあります。他者の不幸と他者の罪を一緒にしてはならない、という教えです。

ヨハネ福音書:目が見えない人に出会うい弟子たちはイエスに尋ねます。「先生、この人が生れつき盲人なのは、誰が罪を犯したためですか。本人ですか、それともその両親ですか。」弟子たちは目が見えない人の不幸は当然その人自身やその両親のせいであると思っていました。しかし、聖書の教えに基づいてイエスは答えます。「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである。」イエスは不幸と罪を分けて、不思議な言葉を加えました。目が見えない人の不幸は「ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである」。

他者の不幸と他者の罪とを一緒にする傾向は全ての時代において見られます。論理の共通点は「困っている人の問題の原因はその人自身にある。」ということです。

この論理の理由について問う必要があります。他者の不幸と他者の罪とを一緒に考える理由は、他者の苦しみの責任から逃げるところにあると私は思います。

ユダヤ教の思想家は次のように書いています。「被害者に責めを負わせるこのような心理学は、いたるところで見られます。そうすることによって、悪はそれほど不合理なものでも恐ろしいものでもなくなるように思えるのです。」[1]

もし、難民は自分のせいで難民なのであれば、私は心配する必要も、彼らを助ける必要もありません。もし貧しい人やホームレスが働きたくないという理由で困っているなら、そして、もし問題のある人だけがいじめの対象になっているなら、「悪はそれほど不合理なものでも恐ろしいものでもなくなる」ので、私は安心して寝ることができます。

しかし、世界はそんなに単純で合理的な場所でしょうか。他者の心はそんなに分かりやすいものでしょうか。

私が不幸な人と出会うとき、唯一明確な事実は、その人は私より苦しんでいる、ということだけです。私は他者の不幸の理由を知ることはできません。そして、その理由を想像する権利もありません。

私たちが他者の苦しみと「ありのまま」、説明なしに向き合う時、その苦しみは無視できないものになります。むしろ、無視できない命令になるといった方がいいかもしれません。他者は貧しいけれども、私は貧しくない。他者には住むところはないけれど、私にはある。他者はいじめられているけれど、私はいじめられていない。これだけが事実。何もせずにいられない、耐えられない事実になります。聖書の言葉を借りれば、他者の不幸を他者の罪と切り離す時、「神のみわざ」つまり他者を助けること、世界を変えることが可能になります。

[1] なぜ私だけが苦しむのか』H.S.クシュナー。東京:岩波書店、1998.

マザー・テレサの祈り

私達のCharity Communityの感性(意識の究明,聖イグナチオの霊性,イエスの聖心)が現された祈り信じなさい.イエスはあなたたちに渇いています.

自分は愛に値しないと思っているときですら,

イエスはあなたたちを愛しているのです.

もし,ほかの人々から受け入れられないときも,

自分で自分を受け入れられないときでも,

イエスはいつも,あなたたちを受け入れてくださいます.

イエスから愛されるために自分と違ったものになる必要はありません.

信じなさい.

あなたたちはイエスにとってかけがえのないものなのです.

あなたたちの苦しみを,全てイエスの足元に運びなさい.

ありのままでイエスから愛されるためには,ただ心を開くだけでいいのです.残りのことはイエスがしてくれます.

マザーテレサ

 

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。言葉に気をつけなさい、

それはいつか行動になるから。

行動に気をつけなさい、

それはいつか習慣になるから。

習慣に気をつけなさい、

それはいつか性格になるから。

性格に気をつけなさい、

それはいつか運命になるから。

マザーテレサ

類似

「心」が変われば「態度」が変わる

「態度」が変われば「行動」が変わる

「行動」が変われば「習慣」が変わる

「習慣」が変われば「人格」が変わる

「人格」が変われば「運命」が変わる

「運命」が変われば「人生」が変わる

写真撮影時のカトリック的かけ声:ジーザス マリア

例:カトリック信徒が被写体になる集合写真で唱和するかけ声で,チーズやピースではなく,カトリック的な言い方をしましょう.撮影の際に,皆さんに,「皆さん,ジ~~ザスと言ってくださいね.ジ~~の時にシャッター押しますから!」と話して,1枚目を撮ります.

次に,「もう1枚撮りますね.今度は,マリア~~と言ってください.ア~~の時にシャッター押しますから!」と2枚目を撮ります.

カトリック信者なら,皆さん喜んで大きな声を揃えてくださいます.

★実は,撮っている人だけが感じる奇跡がおきています.ジーザスと言う時と,マリアと言う時で,皆さんの顔が変わるんです.チーズ,バターでは,こうはなりません.

活動における観想的態度 「活動における観想的態度」(Simulin actione contemplativus):イエズス会のモットーである「Contemplatives in Action」(活動における観想)は霊操 48 番「切に望んでいるものを主なる神に願う」(ido quod volo)英語の(I Wish)のこと。
霊操的黙想の実践

祈りと活動を日々の生活の中で統合していくためには、これまで学んできた聖イグナチオの霊操の日々の黙想の流れを実践することで実現できると思います。霊操 46 番は黙想を始める前の準備について「自分のあらゆる意向と行為と働きが、ひたすら主なる神への奉仕と賛美だけに向けられるよう、主の助けを願う」と教えます。この意味は黙想を始める前に自分の意向を正しく整え、純粋なものにすることです。そしてつぎに霊操 47 番第一の準備で「想像しながら現場を見ているように設定すること。黙想する内容をまとめること」を指示しています。例えばご降誕の場を具体的にイメージすることです。

第二の準備は霊操 48 番「切に望んでいるものを主なる神に願う」(ido quod volo)英語の(I Wish)のことです。明確な目的や目標を持つことです。例えば「ミッション」のようなビジョンを持ちその実現を望むことです。そして霊操の 50~52 番を参考に、黙想する要点を実際に黙想・観想することです。これは極めてイエズス会的な祈りへのアプローチです。

黙想が終わったあと、霊操 77 番付則第 5 は「霊操を終えた後、15 分間腰をかけるなり、歩くなりして、観想か黙想がどのようにいったかを反省する。よくいかなかった場合、その原因を調べ、調べた上で、今後の行為をよくしていくため心を改める。よくいった場合には、主なる神に感謝し、次の霊操にも同じ方法を使う」ことを勧めています。この時この反省をノートに書き残して置くことも大切です。

このイエズス会的祈りと活動を統合する基本的枠組みはつぎのようにまとめることができます:

① 準備の祈り:神への賛美#46 と、具体的望み#48,

② 働き・活動(黙想・観想)

➂ 回想・ふりかえり(意識の究明 77)

これが霊操のダイナミズムです。朝祈り、活動に出かけ、夜祈ることです。朝今日 1日をどのように過ごすか準備し、外に出かけ、帰りに電車の中などでふりかえりを行うか、家に帰ってからふりかえりをするリズムを体得し、日々の生活を充実させていくことです。

一人で、家族で、あるいは友人と共に、どのような形であっても祈りを続けることが大切です。自分のいるところから祈りと活動を統合し準備・働き・回想のリズムを体得、習慣づけていくことを勧めます。

英隆一朗神父SJ

糾明から究明へ

第二バチカン公会議の前は罪の糾明にポイントが置かれていましたが、米国イエズス会のアッシェンブレナー神父(Fr.G.AshenbrennerS.J.)は神の恵みを中心とした「意識の究明」(Examination of Consciousness)を広く普及させました。これは糾明が罪を問いただす面を強調していたのと違って、究明によって日々の生活のうちに神さまの働きを見出していくようにするものです。今回はこの「意識の究明」の簡単な方法を説明します。イグナチオ・デ・ロヨラの考え方は忙しい生活をする現代人によく当てはまります。彼がイエズス会を始めたときに、中世からの修道院に由来する多くの慣習を廃止したのですが、そのひとつとして、長々とお祈りすることを止めました。その理由は 1 日に7回も聖堂に集まって祈りをささげていたら(トラピストなどの観想修道会のように)、

活動する時間がなくなるからでした。

現在イエズス会員は 1 日に 1 時間の黙想することが義務になっています。しかしイグナチオ自身は絶対に 1 時間しなければいけないとは考えていませんでした。

あまりに忙しい時や、病気の時など、1 時間の黙想を省いてもよいと考えていました。その代わり究明だけは 5 分でも 10 分でも毎日必ずしなければならないと考えていました。何故でしょう。イグナチオは日常生活の中で神さまのみ旨に従って生きているかどうかが、ほんとうに大切なことであると思っていたからです。

今年の『ミッション 2030』のテーマが「祈りを深める」となっていますが、これはたんに深めるということだけの話ではなく、私たちの生き方が神さまとの生きた交わりとなるようにという意味なのです。だから、毎日、短い時間でも究明によって、1 日をふりかえることはとても重要なことです。少なくとも寝る前に、今日 1 日自分の生活が神さまのみ旨にかなっているかどうかをふりかえり、軌道修正をする時間を取ります。これはイグナチオの霊性の肝であり、まさに中心なのです。ですからみなさんにも実践することをお勧めします。

朝、今日 1 日こう生きていきたいと願い、夕方あるいは寝る前に 15 分ぐらい、無理であれば少なくとも 5 分かけて 1 日をふりかえり軌道修正をしてみてください。これが祈りのカードの意味しているところです。これはイグナチオの霊操の精神そのものをみなさんも実践して見たらどうかということを勧めているのです。

特別糾明のところでは朝、昼、晩と 1 分ずつと勧めていましたが、ここでは 15 分あるいは 5 分間、みなさんの生活の中でこの時間をとる工夫をすることがポイントになります。

ふりかえり方ですが、一般に祈りとは神さまと私の間にあって私から神さまへお願いをすることと理解されていることが多いようです。これでは一方的で、交わりにはなっていません。祈りは神さまと私の生きた交わりを観ていくこと、つまり神さまが自分にどのように働きかけたかを観ていくことなのです。

長い祈りの中でということもありますが、実際は日常の生活の中で神さまが私に直接働きかけたこと、仕事や人を通して働きかけたことを通して神さまのみ旨を見出していくことが大切になるのです。このことを『ミッション 2030』では「信仰と生活の統合」と表現しています。日々の出来事を通して働きかけている神さまの動きに気づくことなのです。

嬉しいことも悲しいことも一瞬のことで、すぐには考えることにはなりません。ですから 15 分が無理ならすくなくとも 5 分はかけて、ふりかえることが望まれます。一番大切なのは月曜日から土曜日までの日々の生活の中でどう神さまの働きを見出していくかということです。

これが肝心なことですが、究明といっても分かりづらいでしょう。ですから今回、 簡単なことばを通して究明のやり方を紹介していきます。つまり「ありがとう」、「ごめんなさい」、「お願いします」ということばを通してふりかえります。そうするとこれをきっかけとして具体的なことが分かってきます。

「ありがとう」については、日常生活のゴチャゴチャしたなかで何がお恵みだったのか、今日ラッキーだったことやよかったことなどを思い起こすことによって、何が神さまの働きだったのか少しずつ分かってくるようになります。

つぎは「ごめんなさい」。失敗したこと、だめだったこと、心の中でゴチャゴチャしたことなどあると思いますが、自分自身に対してというよりも神さまに対して何が「ごめんないさい」なのか分かってくるようになります。

最後に「お願いします」。神さまに「ごめんなさい」と思った点をどう克服していくか、あるいはどのように解決していくか考えて、お願いしていくわけです。自分に必要な糧を願うということですね。

そうしたら、朝、その「お願い」をして、夜か寝る前に「ありがとう」と「ごめんなさい」についてふりかえり、このサイクルで日々実践していきます。

もちろんこれを実行していけばよいのですが、ノートやメモの形で残していくのが効果的です。イグナチオもノートをつけていたと言われています。何が「ありがとう」なのか、「ごめんなさい」なのか、何を「お願いする」のかを書きます。

なぜなら、そうすることでポイントをしっかりと意識化できるからです。

これは私の究明手帳です(英神父自身の究明ノートを実際に皆に見せている)。大学時代指導司祭から教えてもらい、以来約 35 年間、ほぼ毎日手帳に記録し読み返しています。たとえばそれぞれの点を書くとき色を変えて書いてもよいと思います。とにかく書くことと読み返すことによってポイントが明確になってきます。毎回ビッシリ書かなくても結構です。書ける分だけで十分です。継続が力となります。

日常生活の生き方や仕事の仕方が神さまのみ旨にかなうようになることが大事です。だからイグナチオの霊性は、この世をすべて捨ててただ神と一致するという垂直的なものではなく、日々生活の中で神との交わりを深めていく水平的な霊性です。これは、信徒にもっともふさわしい霊性でしょう。日常生活を通して、神との交わりを深め、神のみ旨を生きていくことをめざしていくのです。

私の意見ですが、忙しい人ほど究明が必要だと思います。これによって気持ちを整え、職場で気持ちのリセットができます。私が学校の先生をしていたとき、ほんとうにいそがしく毎日 1 時間の黙想は無理な状態でした。そのときお昼のご飯の後に職員室でしていた究明は、短い時間でしたが、私にとってほんとうに大きな助けになりました。小さな手帳を開いて書いていたので周りの人は私が何をしているのか分かっていませんでした。

鎌倉の十二所に住んで東京で仕事をしていたとき、横須賀線を使っていました。帰りの電車で座席が空き、座れるようになってから究明をしていました。この電車のなかで前の椅子席が空いているときには、そこにイエスさまが座っていらっしゃると思い、その日の出来事を今日はこんなことがよかったなどとイエスさまに話しかけるようにして究明をしていました。

究明はかしこまったことでなく、長い時間を必要とするものではありません。どこでもどんなときでもできます。お風呂に入りながらする人もいます。ですからこのカードもそのような意味で作ってあります。究明のポイントは自分なりの方法を見つけものにすることです。

   
   
   
   
   
   
   
   
説教等  
放蕩息子のたとえ ルカ15.1-3,11-32

イエスは御父を伝えたかった.父と何回言っているか数えてみよう 日本語:15回 NJB:12回

財産を二人に分けてやった:財産は,自分の命を支える全て

   
1. 私達とはとは 2. わかちあい3. コミュニティ4. 霊操5. 不偏心6. 識別7. 意識の究明8. 召命9. 使命10. 選び11. 使徒的共同体12. 誓約
   
 

Posted by 枝人