告解のための一般究明 32-43

2019年7月1日

〔告解のための一般究明〕

32 心を清め、より良く告解するための一般究明

自分の心に現れてくる考えに三種類ある事を前提とする。

一つは自分のものであり、ただ自分の自由な望みから生まれるものである。他の二つの考えは外からのものであり、一つは善霊から、一つは悪霊から来る。

17, 336 / 5, 346 / 347

33 思いについて

外から来る悪い思いに対して功徳を積む二つの方法がある。一つは、例えば大罪を犯す思いが来る時、直ちに私がそれに抵抗する結果、その思いは打ち負かされてしまう事である。

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34 功徳を積むもう一つの方法は、次の通りである。すなわち、前の悪い思いが来る時、私はそれに抵抗する。一度ならず繰り返して来るが、いつもこれに抵抗し、ついにその思いは打ち負かされて退いてしまう。この第二の方法の功徳は一番目よりも大きい。

35 小罪を犯すのは、大罪を犯そうという思いが浮かんだ時、少しでもそこに留まり、又はそこから何らかの感覚的楽しみを受け、その思いに耳を貸したりする時の事である。その思いを退ける事を怠った場合も、小罪を犯す事になる。

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36 大罪を犯す方法には二つある。一つは承諾した通りに後で行動するか、又は可能な限りそれを実行する意図をもって、悪い思いに承諾する時である。

37 大罪を犯すもう一つの場合は、思いの罪を実行に移す時である。前の方法よりも重い。それは三つの理由から明らかであろう。第一に、後者の方が長く続く。第二に、前者よりも罪に没頭する程度が深い。第三に、その罪に関わる双方の害がより大きい。①

①悪い思いを実行に移す時、罪の共犯者があると仮定される。

38 言葉について

創造主にせよ被造物にせよ、それを指して誓うのは禁じられている。ただ偽りなく必要な時、畏敬の心をもって誓うならば、その限りではない。「必要な時」とは、真実である限り、いかなる事柄でも誓いで保証できるという事ではなく、霊魂や体、又は、財産のため多少とも大切な事柄のみを意味する。「畏敬の心をもって」とは、創造主の名を口にする時、謹んで神にふさわしい敬意と尊敬を示すという意味である。

39a 次の点に注意すべきである。軽々しく誓いを立てた時、確かに被造物を指して誓う時よりも、創造主を指して誓った時の方が重い罪となるが、創造主を指して誓う時よりも、被造物を指して誓う場合、真実で必要な時、畏敬の念をもって正しく誓うのは、遥かに難しい事であろう。その理由は次の通りである。

39b 第一の理由

被造物を指して誓おうと考える際に、私達は、被造物の名前を口にしたい場合、万物の創造主のみ名に訴えたい場合ほどには、真実だけを話し、必要な時にのみそれを証言しようという事に、それほど周到な注意を払わないからである。

39c 第二の理由

被造物を指して誓う場合、造り主に尊敬と畏敬を示す事は、創造主のみ名に訴え、神を指して誓う時ほど易しくないからである。なぜなら、被造物の名前を使うよりも、主なる神のみ名に訴える方が畏敬と尊敬の心をもたらすからである。従って、被造物を指して誓う事は、初心者よりも、むしろ完徳に進んだ人に許される。というのは、たゆみない観想と知性の照らしのゆえに、後者の方が、主なる神が本性と現存と全能によって、各被造物に内在される事を一層深く考え、黙想し、観想しているからである。従って、被造物を指して誓うに当たり、初心者よりも完徳に進んだ人の方が、創造主に畏敬と尊敬をよりふさわしく示す心の準備ができているのである。

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39d 第三の理由

被造物を指して度々誓う場合、完徳に進んだ人よりも、初心者の方に偶像崇拝に陥る恐れが多いからである。

40 無駄な言葉を言ってはならない。無駄とは、自分のためにも他人のためにもならず、ためになっているつもりで話されたものでもない事を言う。従って、自分自身の、あるいは他人の霊魂か体か財産に益となる言葉、又は、そのつもりで話された言葉なら、いかなる場合でも無駄ではない。自分の身分に関係のない場合でも、(例えば、修道者が戦争か商売について話す時)同じである。前述した全ての事においても、その話を正しい狙いをもってするなら、功徳となるが、正しくない狙いをもって、又は軽々しく話す場合、罪となる。

41 他人の名誉を傷つけたり陰口を言ったりしてはならない。なぜかというと、公に知られていない大罪を暴く事は大罪に、小罪を暴く事は小罪になり、欠点について語る時、自分にも欠点がある事を示すからである。善意をもって相手の罪か欠点について話すのは、次の二つの場合許される。

第一

その罪が公に知られている場合。例えば、公に娼婦として知られている人、又は、法廷が下した判決、あるいは自分の関わる人々を害する、公然となった異説等。

第二

罪に陥った人を立ち上がらせ助けてもらうため、隠れた罪を誰かに知らせる場合。但し多少ともその人が罪を犯した人を助けられるだろうという根拠のある推測がなければならない。

42 行いについて

神の十戒と教会の掟、又上長の勧めを基準としてこれら三つのいずれかに背いた行いはどれでも、掟の重要さに応じて、多かれ少なかれ罪となる。上長の勧めとは、例えば、十字軍勅書、又は、告解と聖体拝領をした人に与えられる他の免償状(例えば講和成立のための免償状)の事である。確かにその時、上長の良い勧めと奨励に反対したり、他人を反対させたりする行動は、軽い罪にとどまらないであろう。

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43 一般究明の方法、五つの要点を含む

要点第一

いただいた恵みのために主なる神に感謝する。

要点第二

罪を知り、それを取り除くために助けを願う。

要点第三

特別究明において述べられた同じ手順を守り(25)、時間を追って、又日課の項目に従い、起床から今の究明迄、まず思いにつき、次いで言葉、最後に行いについて自分自身に問いただす。

要点第四

過失を赦して下さるよう主なる神に願う。

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要点第五

神の恵みを頼りにして、改善を決心する。主祷文。

Posted by 枝人