霊操 5つの大切な祈り

2019年7月1日

1)原理と基礎  23

2)キリストの国   91-100

3)二つの旗   136-143

4)謙遜の三段階   165-168

5)愛であるための観想   230-237


原理と基礎

23 人間が造られたのは、主なる神を賛美し、敬い、仕えるためであり、こうする事によって、自分の霊魂を救うためである。又、地上の他のものが造られたのは、人間のためであり、人間が造られた目的を達成する上で、人間に助けとなるためである。従って人間は、そのものが自分の目的に助けとなる限り、それを使用すべきであり、妨げとなる限り、それから離れるべきである。であるから、私達の自由意志に任せられ、禁じられていないものであれば、全ての被造物に対して偏らない心を育てなければならない。従って私達の方からは、病気よりも健康を、貧しさよりも富を、不名誉よりも名誉を、短命よりも長寿等を欲する事なく、ただ私達が造られた目的へよりよく導いてくれるものだけを望み、選ぶべきである。 46, 169a, 169b, 179, 181, 189a, 233 / 130c, 229c / 14, 20a, 150 / 170, 157 / 166 / 151 / 184,


〔キリストの国〕
91 過ぎゆく世の王の呼びかけは永遠の王の生涯を観想する助けとなる。
準備の祈り
いつもの通りにする。(46)
第一の準備
目に見えるように、場所を設定する事。ここでは、我が主キリストが布教された会堂や村や城を観想の目で見る事である。
第二の準備
望んでいる恵みを願う事。ここでは、主の呼びかけに耳をふさぐ事なく、直ちに、又熱心に、いと聖なるみ旨を果たせるよう、私達の主から恵みを願う。
92 〔 第一部 〕
要点第一
主なる神から直接に選ばれた王の姿を自分の前に置く。キリストを信じる全ての諸侯と信者は彼を尊敬し、従うのである。
93 要点第二 (キリストの呼びかけ)
その王が、自分の者皆に次の事を話しているのを見る。「私は異教徒の地をことごとく従わせようと思う。そこで、私と共に来たい人は、私と同じ食事、そして同じ飲み物、衣服等で満足しなければならない。又、昼は私と共に働き、夜は共に寝ずの番等をして働かなければならない。こうして、私の労苦に与ったように、私の勝利にも与るであろう」と。
94 要点第三
これほど寛大で人情の厚い王に対し、良い家臣が何と答えるべきかを考える。そして、もし誰かこのような王の頼みを聞かない者があれば、皆から責められ、卑怯な騎士とみなされるのは至極当然ではなかろうか。
95 第二部
この霊操の第二部は、上記の三要点に従って、私達の主キリストに、前述のこの世の王のたとえを適用する事である。
要点第一
このように家臣に呼びかける、過ぎ行く世の王の召しを考察したが、永遠の王、私達の主キリストを見、又その前にある全世界を見る事は、なおさらいかに考察に値する事であろう。主は全ての人、又一人ひとりをお召しになり、次のように言われる。「私は、全世界と全ての敵を従わせ、こうして父の栄光に入る事を心に決めた。であるから、私と一緒に来たい人は、私と共に働かなければならない。こうして、労苦のうちに私について来た人は、栄光のうちにも私について来るであろう」と。
102
96 要点第二
判断力と理性のある人は皆、この仕事に身も心も捧げるであろうと考察する。
97 要点第三
永遠の王、万物の主に対するあらゆる奉仕の道において特に熱心であり、卓越したいと望む人ならば、その仕事に身も心も捧げるだけでなく、自分の感覚、及び肉体的、世俗的愛に対して戦いながら、より貴重で重大な奉献をし、次のように申し上げるであろう。
13, 16, 21, 157, 169b / 217, 319, 325, 351
98 「万物永遠の主よ、ご好意とおん助けに寄り頼み、限りない慈しみであるあなたのみ前で、又栄光に満ちた聖母と天堂の全ての聖人聖女の前で、私の奉献をいたします。あなたへのより大いなる奉仕と賛美になりさえすれば、あらゆる蔑み、辱め、あらゆる心の貧しさと実際の貧しさを耐え忍び、その道においてあなたに従い倣う事こそ、私が望み、切望し、熟慮の上で決定している事です。ただ、いと聖なるあなたが私をその道と身分に選び、受け入れて下さるならばの事です。」
5, 234 / 152 / 48 / 116, 146, 167
99 注意第一
この霊操は日に二回、すなわち起床の直後並びに昼食か夕食の一時間前に行う。
100 注意第二
第二週とそれ以後、時々「キリストに倣いて」や福音書、又聖人伝を読む事は極めて有益である。


〔二つの旗〕 136 第四日

二つの旗の黙想。一つは、総司令官であり我が主であるキリストの旗。もう一つは、人間の仇敵であるルシファーの旗。
準備の祈り
いつもの通りにする(46)。
137 第一の準備
内容をまとめる事。ここでは、キリストは全ての人を自分の旗のもとに呼び集め、そこに留まるよう望み、反対にルシファーは自分の旗のもとに残るよう望むという事である。
138 第二の準備
見えるように場所を設定する事。ここでは、エルサレム全地方の広い野営地①を見る事である。そこで義人たちの最高司令官は主キリストである。バビロン地方におけるもう一つの野営地を見る。そこでの敵の首領はルシファーである。
①別訳「広野」。
139 第三の準備
望んでいるものを願う事。ここでは、悪の首領ルシファーのごまかしを知り、それを避けるための助けを願う事である。又、まことの最高司令官キリストが示されるまことの生命を知り、キリストに倣うための恵を願う。
176, 211, 313
〔 第一部 〕
140 要点第一
バビロンのあの広い野営地で、全ての敵の首領が炎と煙の壮大な座についているような光景を想像し、その恐ろしくすさまじい姿を思い浮かべる。
327
141 要点第二
ルシファーが数知れない悪魔を呼び集め、彼らをあれこれの町に配置する事を考察する。世界中あまねくルシファーはそのようにし、いかなる地方や場所、いかなる身分や個人も見逃しはしない。
142 要点第三
ルシファーが彼らに話している事、又人に網を投げ、鎖で繋ぐように勧めている事を考察する。まず第一、富の欲望をそそるように勧める。ルシファーは、殆どの場合そのようにするが、それは,人々が世の空しい名誉、そしてその後、増長した高慢にもっとたやすく至るためである。従って、
第一の段階は富の段階であり、
第二は名誉、
第三は高慢の段階であるが、
この三つの段階からルシファーは他のあらゆる悪徳に人を誘い入れるのである。
143 〔第二部〕
まことの総司令官我が主キリストについては、第一部の正反対を想像しなければならない。


〔 謙遜の三段階 〕

165 謙遜の第一段階
永遠の救いのために必要な謙遜の段階である。すなわち,全てにおいて主なる神の掟に従えるよう、できる限り身を低くして、自分を卑しくする事である。従って、例えこの世の造られた全てのものの主とされようとも、又自分の命のためであっても、神の掟にせよ、人間の掟にせよ、背けば大罪になる掟を破ろう等とは考えもしない。
324
166 謙遜の第二段階
第一の段階よりも一層完全な謙遜である。すなわち、もし主なる神への奉仕、及び自分の霊魂の助かりのためにどちらも同じく役立つなら、貧しさよりも富を、不名誉よりも名誉を、短命よりも長寿を望む事なく、いずれにも傾かない態度をもつと言う事である。その上、例え全世界を手に入れるためでも、あるいは、命を失う事になろうとも、小罪を犯そう等とは考えもしない。
23, 157
167 謙遜の第三段階
最も完璧な謙遜である。すなわち、第一と第二の段階を含め、もし主なる神の栄光と賛美が同じであるならば、我が主キリストに一層誠実に倣い、似た者になるため、貧しいキリストと共に富よりも貧しさを、侮辱に飽かされたキリストと共に名誉よりも侮辱を望み、この世の学者、賢者とみなされたい望みよりも、かつて愚者、狂人とみなされたキリストのために、愚者、狂人とみなされる事を望み、選ぶのである。
98, 116, 146
168 注意
このようにして謙遜の第三段階に到達したい人には、前記の「三組の人」の三つの対話を行うのが極めて益となる。主なる神への等しく、又はより大いなる奉仕と賛美になるならば、主により良く倣い仕えるために、我が主がこうした第三のより深く、より良い謙遜の段階に自分を選んで下さるように願うべきである。
147, 156


愛を得るための観想

230 注意
まず二つの事に注意するのが望ましい。第一、愛は言葉よりも行いによって示すべきである①。
①別訳、「言葉よりも行いにあると考えるべきである」。
231 第二、愛は両者の間の交換にある。すなわち、愛する人が持つものを、又は持つものと自分に可能なものから愛される人に分け与え、一方、愛される人も、愛する人に対して同じくするところに愛がある。従って、どちらかが知識を持つならば、持たない相手に分け与え、名誉や富に関しても同様にし、相手も他方に対して同じくする。
準備の祈り
いつもの通りにする(46)。
232 第一の準備
場所を設定する事。ここでは、我が主なる神と天使達と、私のためにとりなしている諸聖人の前に自分がいるのを見る事である。
233 第二の準備
望んでいるものを願う事。ここでは、神の恵みを余すところなく認め、全てにおいて主なる神を愛し、仕える事ができるために、いただいたこれほどの恵みの内的知識を願う事である。
234 要点第一
創造と贖いと個人的な賜物等、受けた恵みを思い起こし、我が主なる神が私のためにいかに尽くされたか、自分が持っておられるものからどれほど多くを与えられたか、又同じ主が、神の計画に従って可能な限り、どれほど自分を私に与えようと望んでおられるかを深い感動をもって思いめぐらす。ついで、自分に目を向け、当然なすべき正しい事として、私からは主なる神に何を捧げ、何を与えるべきかを考察する。つまり、私の全てのもの、それと共に私自身を捧げるべきと思い、深い感動のまま奉献する者として次のように申し上げる。
「全てを取って下さい。主よ、受け入れて下さい。私の全ての自由、私の記憶も、知性も、意志も、私にあるものと持っているもの全てを。あなたがこれらを私に下さったのですが、主よ、あなたにお返しします。全てはあなたのものです。どうぞ、あなたの望みのままに計らって下さい。あなたの愛と恵みを与えて下さい。私にはこの恵みだけで十分です。」
5, 98
235 要点第二
神がいかに被造物の内に住んでおられるかを見る。つまり、物質の元素には存在を与えながら、植物には生長を、動物には感覚を、人間には思考力を与えながら住んでおられる。従って、私を存在させ、生きさせ、感じさせ、考えさせながら、この私の内にも神が住んでおられる。同様に、主なる神の姿に似せて造られた私を自分の神殿として、私の内に住んでおられる。第一要点に述べた方法、又はより良いと思われる他の方法で同じ事について自分に目を向ける。後に続く各要点についても同様にする。
39
236 要点第三
あらゆる被造物において神がいかに私のために活動し、働いておられるかを考察する。つまり労働する者のように見える。例えば、存在させ、保持し、生長させ、感じさせる等して、天と物質の元素や植物、果実、家畜等において働いておられる。次いで、自分に目を向ける。
237 要点第四
全ての良いものと賜物がいかに天上から下るかを見る。例えば、私の限られた能力が天の限りない最高の能力から下り、正義と善良さ、思いやりと憐れみ等も同様である。あたかも太陽から光線が、泉から水が流れ出るごとくである。次いで、前述の通り(235)、自分に目を向けて終わる。
対話
対話と主祷文一回で終わる。

Posted by 枝人